丹波篠山 ― 世代を越えて続く暮らしのリズム
丹波篠山 ― 世代を越えて続く暮らしのリズム

丹波篠山は、関西を代表する城下町の一つとしてしばしば挙げられますが、 まさにその通りです。城郭設計の名手と称される大名・藤堂高虎が設計した城の跡を擁し、その威容に守られたこの地は、かつて長く続いた平和のもとで繁栄しました。平和は農業や工芸の発展をもたらし、黒豆、日本酒、陶器といった特産は、いまなお受け継がれています。しかし、丹波篠山の人々が「歴史を守っている」と言うのは正確ではありません。彼らはただ、何世紀も前に形づくられた日々の営みを、自然に続けているだけなのです。
多くの城下町と同様に、この町の構造は、通常は防御に適した高台に築かれる天守の位置を基準に設計されています。城に隣接して、西側には武家屋敷が並ぶ武家地、南側には商人たちの店が集まる商業地が配置されていました。この配置により、江戸時代の大半を軍事訓練ではなく行政務に費やしていた武士たちは、無理なく通勤することができました。そして一日の終わりには、商人町が気分転換の場となり、単なる栄養補給ではなく、楽しみとして味わえる食材や食べ物を手に入れることもできたのです。

丹波篠山の本来の町割りは、戦略的な保存の取り組みによる部分もありますが、地域住民の暮らし方そのものが急速な近代化を必要としなかったこともあり、現在も良好な形で残され、訪れる人々が楽しめるようになっています。地域や事業者主導の再生プロジェクトによって、伝統的な商家や町家の一部は守られつつ、洗練されたカフェや分散型宿泊施設といった新たなビジネスも生まれました。その結果、丹波篠山は保存活動に関する各種表彰とともに、「美しい日本の歴史的風土100選」の一つにも選ばれています。
とはいえ、城下町の暮らしそのものは、インターネットやNetflixが加わったことを除けば、江戸時代や明治時代と大きく変わってはいないのです。
小田垣商店 ― 暮らしを支える豆
丹波篠山の暮らし方を象徴する好例が、小田垣商店です。創業100年以上続く日本の老舗企業である同店は、約300年前に金物店として創業しましたが、江戸時代が終わった1868年からは豆の卸売業を営んでいます。当初は、地域の農家と協力して、日本の伝統に深く根ざした食材である黒大豆の栽培を発展させてきました。
当時、黒大豆は少量しか栽培されていなかったため、小田垣商店は農家に種を提供し、収穫した一年分をすべて買い取ることを保証しました。農家に寄り添う同店の取り組みは、農家の成長と革新を後押しし、やがて選抜育種によって、日本でも最大級で最も美味しい黒大豆を生み出すことにつながりました。こうして150年以上前に始まった小田垣商店の歩みにより、現在では日本各地で、お正月や特別な食卓に上質な黒豆を味わえるようになっています。

小田垣商店の本店は、丹波篠山の商人町に受け継がれてきた建築的遺産を体現しており(有形文化財にも登録されています)、同時に、豆と日本の伝統文化との結びつきを伝える場でもあります。こうしたつながりは一見、静的で変わらないもののように思えるかもしれませんが、小田垣商店は、地元農家が育てる豆の品質向上だけでなく、焙煎黒豆粉をまぶしたおはぎ(甘い小豆餡でつぶした米を包んだ和菓子)といった新たな手作り商品など、革新を続けています。さらに店内にはカフェも併設され、伝統的な豆を現代的なデザートやお茶に巧みに取り入れる試みも行われています。
基本情報
住所:兵庫県丹波篠山市立町19
電話:079-552-0011
公式サイト:https://www.odagaki.co.jp/
鳳鳴酒造
丹波篠山の商人町にあるもう一つの老舗が、1797年創業の日本酒蔵・鳳鳴酒造です。小田垣商店の本店と同様、有形文化財に登録されている土壁の建物の中では、何世紀にもわたり受け継がれてきた酒蔵の空気を存分に感じることができます。その製品や製法は、長い年月の中でもほとんど変わる必要がありませんでした。
大規模な酒蔵のようにハイテクな製造方法を導入するのではなく、鳳鳴酒造のような小規模蔵は、品質を損なうことなく、また高額なコストをかけることもなく、伝統的な酒造りを守り続けることができます。彼らが300年以上にわたって事業を続けてこられたのは、澄んだ地下水、毎年巡る稲作の周期、そして深く芳醇な香りを生み出す発酵の力への揺るぎない信頼といった、変わらぬ要素に支えられているからです。もちろん、発酵の仕組みを理解し、それを巧みにコントロールできる杜氏の存在も重要ですが、その根底にあるのは、自然の営みや農業のリズムとの結びつきこそが、この蔵に素晴らしい酒を造り続けさせているということなのです。

基本情報
住所:兵庫県丹波篠山市呉服町73
電話:079-552-1133
公式サイト:https://houmei.wixsite.com/houmeisyuzou/home
河原町妻入商家群
城の南側に広がる河原町妻入商家群は、日本の“生きた遺産”を示す優れた例として存在しています。「妻入(つまいり)」とは建築様式を指し、細長い建物の妻側(切妻の面)が通りに面している形をいいます。商人たちは建物の前面で商売を行い、奥や2階を住居として使うことができました。このように商いを始めやすい造りが、丹波篠山に活気ある商業中心の経済を育んだのです。
歴史地区の中には、博物館のように保存され、眺めることはできても触れることはできない場所もあります。しかしこの地区では、多くの建物が今も店舗や住居として機能しており、現在使われていない建物についても、新たに事業を始める起業家たちが入ることが期待されています。

河原町妻入商家群は、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、町の景観を変えようという気運はほとんどありません。若い世代もまた、この町の文化遺産に深い敬意を抱き、それが決して失ってはならない魅力の一つであると理解しています。
そのため彼らは、既存の建物をどのように活用できるかという制約の中で工夫を重ね、訪れる人々が丹波篠山の豊かな武士時代の歴史に没入できる空間づくりに、喜んで取り組んでいるのです。
基本情報
住所:兵庫県丹波篠山市河原町177-1
電話:079-552-3380(丹波篠山観光案内所)
公式サイト:https://tourism.sasayama.jp/kawaramachi/
昇陽窯と丹波焼
800年以上にわたり、丹波篠山周辺で採れる土を用いて、陶工たちは人々を魅了する丹波焼を生み出してきました。丹波焼は、日本六古窯の一つとして知られ、何世紀にもわたり焼き物を作り続けてきた歴史を持ちます。備前焼と同様に、丹波焼の素朴で土味豊かな風合いは、わびさびの美を重んじる武士や茶人たちに強く愛されました。丹波焼は民藝的な魅力を備え、料理や食事に日常使いできる器として、多くの陶芸愛好家に親しまれており、使い込むほどに美しさが増していきます。
丹波篠山と神戸の間に位置する小さな谷には、約60軒の窯元が集まっています。その一つが昇陽窯で、名門陶芸一家の二代目と三代目がいまも作陶を続けています。創業者は美しい海老文様の作品で名を馳せましたが、息子と孫はそれぞれ異なる方向性で表現を広げ、時代の変化に応じた制作を行っています。もちろん、その作品は丹波焼の伝統色である黒・白・飴色(深みのある茶褐色)を基盤としていますが、近年では青や黄といった美しい色彩の作品も加わり、表現の幅をさらに広げています。

年配の職人は私を裏手へ案内し、丘の斜面にできる限り13度の角度で築かれた登り窯を見せてくれました。彼が陶芸家として歩んできた40年の間に使われたのはわずか約60回ほどですが、普段主に使用している電気窯とは異なり、最高品質の丹波焼を生み出すことができます。例えるなら、デジタルカメラで撮影するのとフィルムで撮るのとの違いのようなものです。完成品に現れる予測できない表情こそが、作品に芸術性を与えるのです。
この窯がめったに使われない主な理由は、その作業の過酷さにあります。十分な高温を保つためには、1時間に何度も薪をくべ続けなければなりません。この作業は焼成が終わるまで2〜3日間続きます。複数人で窯の世話をしていても、長時間に及ぶ大変な仕事です。それでも行うべき作業なのは、丹波焼が人と自然の共同作業によって生まれるものだということを、あらためて実感させてくれるからなのです。

要するに、粘土の成分を決めるのも、ある程度窯の火力を左右するのも、自然そのものなのです。職人は土と向き合って形を作り、窯と向き合って焼き上げますが、最終的な仕上がりはまったく予測できません。どれほど完璧に成形された作品でも、窯の熱で割れてしまい、永遠に失われることもあります。そして実際にそうなったとき、職人はその結果を受け入れ、割れたカケラをアクセサリーやモザイクタイルに変えています。
丹波篠山では、毎日、農家が早朝に起きて畑を耕し、陶工が大地の土を練って形を作り、店主たちが歴史ある建物の手入れをしています。彼らにとってそれは特別なことではなく、ただの日常――演出のない、日本の伝統文化そのものの風景です。いつの日か、私の孫たちにも、この特別な場所で同じ光景が繰り広げられているのを見てほしいと願っています。
基本情報
住所:兵庫県丹波篠山市今田町立杭
電話:079-597-2213(丹波焼 昇陽窯アトリエ&ギャラリー)



