TOP偶然と必然が紡ぐ『丹波大納言小豆』復活の物語
丹波市 - 丹波大納言小豆/あずき工房やなぎた

偶然と必然が紡ぐ『丹波大納言小豆』復活の物語

公開日|2022年3月9日

古くから丹波の地で栽培されてきた「丹波大納言小豆」。その実は、大粒の俵形で艶やかな小豆色を放ち、煮崩れしにくいと高級和菓子店からも重宝されています。限られた土地でしか育たず、栽培にも手間がかかることから希少品として知られる品種の1つ「黒さや」の復活に取り組み、現代にその魅力を伝え続けている「あずき工房やなぎた」の柳田夫妻を訪ねました。

柳田隆雄(やなぎたたかお)・明子(あきこ)

柳田隆雄(やなぎたたかお)・明子(あきこ)

「あずき工房やなぎた」にて、丹波大納言小豆「黒さや」の栽培・加工・販売まで行う6次産業を実施。夫・隆雄さんが栽培し、明子さんが調理。多数のメディアで取り上げられ、小豆好きの芸能人がプライベートで訪れることもある。

江戸時代から伝わる“赤いダイヤ”丹波大納言小豆

見渡す限りに田畑が広がり、視線の先には三尾山(みつおさん)をはじめとする山々がどっしりと構える丹波市春日町。全国的に黒豆の産地として有名な丹波市は、気候や地質等の条件が備わり、「丹波大納言小豆」が栽培される希少な地でもあります。記録にある限りでは約350年前から栽培されており、江戸幕府や京都御所にも献上されていたという一級品。大きな俵型が特徴で、煮ても腹の部分が割れにくいことから、切腹の習慣がなかった大納言にちなんで名付けられたと伝えられています。

丹波大納言小豆にはさまざまな品種があり、「黒さや」もそのうちの1つ。その名の通り外側のさやが黒く、中には美しく輝く小豆が詰まっています。その類いまれな発色の良さから“赤いダイヤ”とも称され、ほんの一握りの限られた地域でしか栽培できない希少な小豆です。栽培にかなりの手間がかかるため、一時は途絶えたとされていた黒さや。それを復活させ、現代に伝えているあずき工房があります。

最高品種・黒さやとの運命的な再会

「2000年にテレビ番組『どっちの料理ショー』で取り上げられたのが、私のその後の人生を決めることになった全ての運命の始まり」。
こう語るのは、「あずき工房やなぎた」を興し、20年以上にわたって黒さやの栽培を行ってきた柳田隆雄さん。黒さやの栽培を始めるまでは建具屋を営んでおり、60代まで農業に携わったことはなかったと言います。

「丹波大納言小豆について取り上げたいと、テレビ番組の取材の下見でスタッフの方が役場へ来られたんです。たまたま居合わせた主人が、一升瓶に入った黒さやが自宅の倉庫に保存されていたのをふっと思い出して。当時、黒さやは主人の母親や祖母とか“おばあちゃん世代”が特別おいしい小豆として自家用にこっそり蓄えていたわずかなものしか現存していなくて、既に栽培もされていなかったんです。まるで黒さやが“私を世に広めて!”と言っている声が聞こえたみたいで……」と妻の明子さん。

番組のプロデューサーに提案したところ、「ぜひこれを取り上げましょう」と、テレビで放映されることに。「番組の放送中から電話が鳴りやまへん。こんなに反響があるんかと驚いて。とにかく丹波の地に残った上質な小豆を知ってもらいたい、残していきたいと思う一心で栽培に取りかかりました」と隆雄さん。黒さやの復活・保存のため「黒さや会」を2000年に立ち上げ、地元の有志メンバー20人とともに活動を始めます。

自然の神秘と人の手が織りなす黒さや栽培

初めての挑戦に戸惑うことも多い中、黒さやを大切に保管していたおばあちゃん世代からのアドバイスに助けられたと言います。
「梅雨が明けて、一番暑いとされる7月20日の極日(ごくじつ)に種をまくというのは、昔からの言い伝え。成長した黒さやは1つずつ手でもいで、全て自分たちの目で見て大きいものを選別します。とにかく手間暇かかるし、気候によって出来も変わる。栽培できる場所も限られているから、大量栽培は難しい」。

隆雄さんは収穫後の黒さやを天日干しする際に使用する道具を自作。小豆を広げるとんぼのような木の板に溝を作ることで、まんべんなく小豆を広げ、少しでも多くの面に日が当たるように考えたそう。古くからの言い伝えと独自の知恵を組み合わせることで、途絶えていた命が見事に芽を出しました。

育つ地域が非常に限られていることも、黒さやの特徴の1つ。湿気を嫌うため、粘土質ではない春日町のサラサラとした砂地が栽培に適していると言われています。また、この地域は岩盤質の三尾山と、腐葉土を多く含んだ黒頭峰(くろずほう)から流れる地水が通る場所。山の養分が水を介して伝わることで、丹波大納言小豆は大きく成長するそう。そのほかに日照時間なども関係があるようですが、「学者さんが土壌調査を行なっても詳しいことは分からなかったんです」と明子さん。同じ地域でも、たった200メートルほど離れているだけで豆の育ち具合が変わるなど、不明な点も多いと言います。

長年黒さや作りに携わってきた隆雄さんも、「本当のところは分からんけど、丹波はよほど小豆が育ちやすいんやろなぁ、野生の小豆が田んぼのあぜに生えていることもあります。黒さやも生命力があって、水をあげなくてもしっかり芽が出る。流通量を増やすために品種改良された小豆とは、やっぱり力強さや質が違うと感じる部分です」としみじみ。

黒さやが教えてくれた“在来種を大切にする”

黒さやの栽培が軌道に乗りはじめ、縁あって皇室への献上もかなったという柳田さん夫妻。近所の人からの信頼と支援を受け、「黒さや会」に続いて「あずき工房やなぎた」を立ち上げ、黒さやの栽培・加工・販売を行う6次産業に着手します。

「小豆というと和菓子に使われる甘い食べ物というイメージが強いかもしれませんが、この地域では昔から日々の食事に小豆がたくさん登場していて。彼岸や亥(い)の子などの行事でおはぎやぜんざいを食べたり、毎月1日と15日には赤飯を炊いて、神様仏様にお供えする習慣があるんです。黒さやを使った料理を通して、より多くの人に黒さやの魅力を伝えられたらと思って」と、明子さんは調理師免許を取得。「黒さやを高く評価してもらっても、実際に食べてみないと伝わらない魅力もある。足を運んでもらって、多くの人に黒さやのおいしさを感じてもらいたいと思ったんです」という隆雄さんの後押しもあり、小豆を使った料理の提供に挑戦します。

隆雄さんと明子さんがこだわるのは、“在来種を大切にする”ということ。「土壌や気候によって、その地域でしか育たないものがある。黒さやもそのうちの1つです。在来種は品種改良されず、命がつながれてきた食物。黒さやを知ったことで在来種の大切さに気づいて、その命を守り途絶えさせないようにしたいと思ったんです」と明子さん。同じく在来種を大切にしている仲間との意見交換の場や大学での講演会に夫婦で参加し、在来種についての考えを深めています。店で提供する料理にも、黒さやをはじめ、買い付けたり自ら育てたりしたその土地ならではの野菜を多く使用しているそう。

「人間は生き物の命を頂いて生きています。命のつながってきた在来種について知り、面白さに気づいてもらえるきっかけになれば」というその料理からは、2人の生命を尊ぶ心が感じられます。

頂いた命は未来へ

「黒さやのおかげで、いろいろ面白い体験をさせてもらいました」と語る隆雄さんは、今年で86歳。立ち上げた「黒さや会」は3年前に引退し、後進メンバーに託しました。「あずき工房やなぎた」での黒さやの栽培も、年々身体への負担が増えていると言います。「現在の黒さや会は、会社を定年退職して農業を始めたメンバーが若手と言える状況。高齢化が課題です。それでもどんな形であれ、意志をもったメンバーに、黒さやをはじめこの地ならではの作物を残していってほしいです」。

明子さんが行う早朝からの料理の仕込みや配膳も、相当な体力のいる作業です。その姿を間近で見てきた娘の貴和子さんは「2人が頑張って取り組み、守ってきたものを、自分も出来るだけ長くつないで残していきたい」と、最近では明子さんと一緒に台所に立っています。

また、黒さやや在来種のことをいろいろな形で残したいと、幼稚園教諭であった経験を生かして絵本を制作する明子さん。「黒さやに触れたことで、本当にたくさんのことを勉強させて頂いて、人とのご縁を感じることができました。自分たちがつないだ命を、この先何百年もつなぎ続けてほしいと思います」。

畑や道を歩きながら山菜を見つけ、明日のランチは何にしようと考えるのも楽しみ、と笑みをこぼす明子さんと、訪ねてきた人に黒さやの話をするのが楽しみと語る隆雄さん。コロナ禍で工房の通常営業は難しい状況が続いていますが、1日でも早くさまざまな地域の人に足を運んでもらえたらと希望の思いを胸に、今日も命をつないでいます。

<柳田さんの丹波大納言小豆 黒さやが購入できる場所>

  • 取材先

    あずき工房やなぎた

  • 公式サイト

    http://azukikoubou.jp/

  • 住所

    兵庫県丹波市春日町東中1425 Google map

  • TEL

    0795-75-1249

  • その他

    営業時間・定休日は公式HPでご確認ください