前編
但馬に、光を纏い、まるで春の風が花の香りを運んでくるかのような、いつも人目を引く美少女がいました。但馬の国を開発した天之日矛ゆかりの、
伊豆志乙女
です。
若者たちは、みんな彼女に恋をしました。しかし、伊豆志乙女は彼らを傷つけまいと、誘われるよりも先にひらりと身をかわしました。
ある時、土地の神である
秋山之下氷壮夫
が伊豆志乙女に結婚を申し入れましたが、断られてしまいました。
「結婚を申し入れたのだが、やはり断られてしまったよ」
秋山之下氷壮夫は
弟神・春山之霞壮夫
にそう言うと、お前ならどうだろうと尋ねてきました。尋ねられた春山之霞壮夫は男らしく、りりしく言い放ちました。
「当たって砕けろ、です。やってみることにしましょう」
その言葉を聞いた秋山之下氷壮夫は、
「そうか。もしお前が伊豆志乙女を妻にできたのならば、お前のために身の丈の高さの甕になみなみと酒をつくり、山と川、すべての珍味を取りそろえて贈ってやろう。ほんのささやかなお祝いだ」
秋山之下氷壮夫はうまくいくはずがないとタカをくくっていたのか、おおらかに約束しました。しかし、春山之霞壮夫は兄神の励ましに喜び、母神の許に向かい尋ねました。
「母よ、どうすれば私の心の内を伊豆志乙女に伝えることが出来るのか、彼女の心を手に入れるすべを私に教えてください」
全てのいきさつを聞いた母神は、成人した息子の姿を見ながら答えました。
「そうね、貴方が本当に彼女を愛しているのなら、ありのままの気持ちを伝えればいいの。男の子なのだから、気後れしたり着飾ったりしないで堂々といきなさい。けれども、身なりは見苦しくないほうがいいですから、母が手伝ってあげましょう」
母神は山には入り、
藤の葛
を手にいっぱい抱えて帰ってきました。それを木で叩いて、水にさらして、藤から出来た繊維で衣服や袴、沓、弓矢まで作って、それを春山之霞壮夫に渡しました。
「これを着て、弓矢を手に持ってお行きなさい」
喜び勇んで伊豆志乙女の家を訪れた春山之霞壮夫は、彼女に愛の言葉を告げました。その瞬間、着ていた服から手に持っていた弓矢まで、藤の花に一変。藤の花の香りがこぼれるまま、春山之霞壮夫は伊豆志乙女に視線をあて、伊豆志乙女は春山之霞壮夫の澄んだ瞳に恥じらいながらこっくりとうなずきました。
「やった! ありがとう!」
大喜びで家に帰った春山之霞壮夫は、このことを母神に伝え、次に秋山之下氷壮夫に伝えました。
二人は本当に仲むつまじい夫婦となりました。
用語解説
伊豆志乙女(いずしおとめ)
秋山之下氷壮夫(あきやまのしたびをとこ)
春山之霞壮夫(はるやまのかすみをとこ)
藤の葛