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湯の山街道

 

湯の山街道沿いのまち並みには、
昔の街道筋の面影があちらにもこちらにも
その昔、有馬の湯が栄えだしたころ、これに通じる道は「湯の山街道」と呼ばれていました。特に羽柴秀吉が三木城攻めをしたころから、その名は顕著になりました。その訳は、有馬の湯を知った秀吉は、三木合戦の最中、兵卒のけが人に対して、この有馬の湯を汲んできて、安福田(あぶた)の野風呂で療養させたとも伝えられています。また、参謀の竹中半兵衛重治が病気療養のため、この湯の山街道を通ったことは有名です。
それ以来、「湯の山街道」と呼ばれ徳川時代も参勤交代や四国からの湯治客が往来した街道です。

 

 

 

室町時代末期の明応元年(1492)、別所則治が播磨の守護大名赤松氏の支城であった釜山城を大修築したのが三木城の始まりで、以後、東播磨一帯を支配する別所氏代々の居城となりました。天正6年(1578)五代目城主別所長治のとき、羽柴秀吉の軍に包囲され、1年8カ月に及ぶ兵糧攻めにあい、城主一族は領民の命を救うために自刀して三木城を開城しました。のちに「三木の干殺し」と呼ばれるようになりました。
三木城跡には別所長治の辞世の句碑や騎馬像が建っています。本丸跡には「かんかん井戸」と呼ばれる大きな空井戸があります。本丸跡に残る唯一の井戸で、石を投げ込むと「カンカン」と音がすることから「かんかん井戸」とも呼ばれています。城内にある雲龍寺には、この井戸から出土したと伝えられる、別所氏愛用の鐙(あぶみ)が大切に保存されています。

 



かんかん井戸

 

 

 



造り酒屋



虫籠窓

 

「湯の山街道」筋には、今でも三木を代表する金物問屋や金物製造業者が軒を連ね、中2階建て切り妻造りの商家の建物が連なっています。また宿場町の特徴である枡形も昔のまま残り、当時の面影を色濃く残していました。卯建(うだつ)、格子戸(こうしど)、漆喰塗り(しっくいぬり)、虫籠窓(むしこまど)、瓦葺き屋根(かわらふきやね)、舟板の壁(ふないたのかべ)などが迎えてくれます。また、道が直角に曲がった「鍵型の辻」もみられます。
切妻屋根の両端庇下に隣家と仕切る袖壁状のものを卯建(うだつ)といい、防火用でもあり、装飾用でもあります。「うだつを上げる」といえば、自己の財力を誇示する手段となり、商家の屋根には立派なうだつが上げられました。特に屋号、商標入りで看板になっているうだつは三木独特だとか。
三木川(美濃川)は、川舟(高瀬舟)による物資の運搬が盛んでしたが、明治になってからは馬車が走り陸上輸送が主になりました。舟の底板を再利用してつくった家屋の塀の板が残っています。
たて線が美しい格子戸や二階屋根裏部屋の換気口になっている虫籠窓など、ゆっくり歩きながら宿場町の風情を楽しみましょう。

 


(問)三木市観光協会 TEL 0794-83-8400