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姫路城

 

姫路城下町の原点、旧西国街道を往く
西国街道は京、大阪より姫路城下を通り、西国、九州方面に通じていた主要街道で、参勤交代の要路でした。この西国街道沿いに発展してきた姫路市船場城西地区は姫路城の南西に位置し、姫路城下町の原点ともいうべきところで、古くから商人の町として栄えてきました。船場川の舟運でにぎわい、姫路藩の経済を支えた名残の史跡や船場御坊本徳寺などの名刹も多く歴史的なたたずまいが残ります。

 

 

 

西国街道筋で唯一立派な佇まいの初井家があるあたりを龍野町といいます。揖保郡龍野(現龍野市)に通ずる道に当たるのでこの名がついたと伝わっています。また一説には、龍野からの移住した人々が住んだからともいうそうです。秀吉が天正8年(1580)姫路城の城下町を建設するに当たり、攻め落とした英賀城下の町人を移住させ、楽市を開いた「制札」が知られています。以後、江戸時代には姫路の代表的な商店街として栄え、多くの有名な商家がありました。「せんざき屋」という大庄屋があったと伝っています。今日でも西国街道沿いの古い民家の残る貴重な町並みです。車門前の一丁目から、車崎の六丁目まで続いています。


うだつ

 



虫籠窓

 

 

 



初井家(非公開)

 

元和3年(1617)姫路城主となった本多忠政の時代、船場川の整備によって城下と飾磨津の舟運が開かれました。これにより木材町から大蔵前までの一帯に町場が発達し姫路の経済の中心になりました。船場川の船繋ぎ岩は重要な水上交通路であった船場川を行き交う荷揚げ・積み荷の船止めの役割を果たしていたもの。船場川にあった船繋ぎ岩は役割を終え、庭石に転用されています。

和菓子の老舗、伝統工芸姫路仏壇の工房などが点在し、職人の技を継承している町界隈の町屋は、白壁、格子、虫籠窓、うだつなどが残り、昔ながらの風情を今に残しています。