古代の播磨はどんなふう?

四コマ漫画で古代の播磨を知ろう!

古代の播磨人はどんな暮らしをしていたの?どんなものを食べていたの?

風土っ記んな人々 遠矢美緒 vol.3「古今東西耳飾り伝」 「古今東西耳飾り伝」1コマ 「古今東西耳飾り伝」2コマ 「古今東西耳飾り伝」3コマ 「古今東西耳飾り伝」4コマ

ファッション

1.いつの時代もファッションは…

古代人たちのファッションは、どのようなものだったのでしょうか。『魏志倭人伝』が書かれた弥生時代の終わりごろ(3世紀)は、いわゆる“布切れ一枚”のようなものだったのですが、古墳時代には上半身と下半身に分かれた服が登場。男性は袴(はかま)、女性は裳(も/長いスカート)を着るようになりました。飛鳥時代の701年には大宝令が出され、服の質や色の違いで身分がわかる制度(服制)ができました。
身に着けて飾る装身具は「あなたと私は同じグループ(仲間)ですね」という“つながり”を示す意味を持っているようです。現代にも見られるファッションの流行はこうして古代から繰り返し続いているんですね。

2.美しさよりも示したいもの

イヤリングやネックレス、ブレスレット、指輪、髪飾りといった装身具は1万年以上も前の縄文時代から使われていました。現在のようなファッションとしてだけではなく、仲間を内外に示したり、お守りのように呪術的なパワーを期待したりするものだったようです。古墳時代になると金の冠や帽子など、身分の高い人が身につける装身具も登場してきます。
『播磨国風土記』には「指櫛(さしぐし/かんざしのように使う髪飾り)」によって水争いの際に川をふさいで流れを変えたこと(揖保郡出水里=たつの市揖西町中垣内川)や、他者が進入できないよう結界として「御冠(みかがふり/冠)」を置いたこと(託賀郡法太里=加西市と西脇市の境)などが記されていて、古代の播磨でも装身具が呪術的なパワーを持っていたと考えられていたようです。
そんななか、古墳時代のイヤリング(耳環)については性別階層を問わず使われていました。なんと労働中の農民も使っていたそうですよ。もしかすると、古代の人々もオシャレだったのかもしれないですね。

3.装身具のない1,100年

飛鳥時代(7世紀)になると身分に応じた色や形の衣服を着るようになり、装身具のもつ呪術的な役割も少しずつ失われ、装身具は次第に姿を消していきます。
櫛や笄(こうがい)、簪(かんざし)といった女性の髪飾りなどを除くと、装身具のない時代はなんと1,100年も続きました。再び装身具が一般的になったのは、明治時代に西欧風のファッションが日本へやって来てからのことで、現代のファッションもその流れをくんでいます。

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