古代の播磨はどんなふう?

四コマ漫画で古代の播磨を知ろう!

古代の播磨人はどんな暮らしをしていたの?どんなものを食べていたの?

風土っ記んな人々 遠矢美緒 vol.1「呑めば都」 「米盗りあうも他生の縁」1コマ 「米盗りあうも他生の縁」2コマ 「米盗りあうも他生の縁」3コマ 「米盗りあうも他生の縁」4コマ

神様と人とのつながり

1. 不思議なことはぜぇーんぶ神様のしわざ!?

古代では、台風とか竜巻とか理由がつかない(と思われた)自然現象は全部神様の仕業だと考えられていたようです。
播磨国風土記には荒ぶる神が、人の妨げをした話が多く残されていますが、海とか川が荒れる様子を見て神様の仕業だと捉えていたからこそ生まれた話なのでしょう。しかし、一方で、神々は互いに争ったり、異性にふられてもしつこくつきまとったり、結婚したり、人に害を与えたりと“人間くさく”今日より、人との距離が近い存在だったとも言えそうです。

2. 神様と人がつながる場所

そんな神様をお祀りするために、「社」「屋形」「酒屋」が建てられました。今の神社のように神と人をつなぐ役割をもっていたのでしょう。揖保郡の伊勢野には、住むことを邪魔する神様に対して、山の麓に「社」を立てて敬い祀った結果、ようやく安住することが出来たとう話が残っています。

3. かしわ手

魏志倭人伝には、倭人の風習として、貴人に対しては、ひざまずいて拝礼し、さらに手を打って敬意を表わしていたと書かれています。古代の日本には神・人を問わず貴いものに拍手をする習慣があったようです。手を打って音を出すのは、感謝や喜びを表わすためとか、願いをかなえるために神を呼び出すためとか、邪神を祓うため等といわれています。

4. 鳥居の起源か?!

国の境には、外から邪神が入りこまないように「御冠」を置いたり「大甕」を埋めたりしたと、播磨国風土記に記されています。揖保郡桑原里にあたる、たつの市小犬丸遺跡からは、村の出入り口に置かれた鳥形の木製品が発掘されました。鳥は邪神が村に入ってくるのを見張ってくれると考えられていたようで、その考えは弥生時代にさかのぼるといわれています。現代の神社の鳥居につながるという考えもあるようです。

5. 今につながる人形祭祀

現代の神社では、6月30日に行われている祭祀(さいし)があります。人の形をした紙に住所や名前を書いて神社にもっていくと、お祓いをしてくれる、というものです。このような人形を使った祭祀は播磨国風土記が記された頃から盛んに行われていました。
当時の役所では木製の人形(ひとがた)が使われていました。人の形をした板に自分の顔を描き、撫でて息を吹きかけることで、体の悪いところを人形に移し、水に流してしまおうという、お祓いの一種です。
人形を使ったお祓いは当時の都である平城京をはじめ、国、郡の役所で、夏と大晦日の年2回、盛大に行われました。豊岡市出石町の袴狭遺跡群では、全国最多の数千点もの人形が出土しています。
当時では当たり前すぎて播磨国風土記には記されませんでしたが、こうした祭祀は1,300年後の現代まで引き続き行われているのです。

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