播磨国風土記ものがたり

播磨国風土記がわかりやすく学べる紙芝居になりました。

今から千三百年も昔のとと、奈良の都からある命令が全園の役所に届きました。
みなさんが住んでいる「播磨園」でも、長官である播磨守が、との命令を伝えています。
播磨守『みなのものよく聞け。都からの命令じゃ。
    次のことをしっかり調べて報告せよというのじゃ。
    よいか。今から五つ言うからよく聞いておくれよ。

    一つ目 村の名前。ただし、縁起のよい漢字を使うこと。
    二つ目 村でとれる物。鉄や銅、木や薬草、動物、鳥などじゃ。
    三つ目 土地の様子。豊かな土地か荒れた土地かということ。
    四つ目 村や山、川などの名前がついたわけ。
    五つ目 老人が伝えている神話や伝説。

    以上じゃ。わかったか。』
役人 『ははー。かしこまりました。
    では、さっそく、みなで手分けしてとりかかりましょう。』

それから約二年後。今の姫路にあった播磨国の役所にはたく古んのお話が集まってきたようですが、なにやらニヤニヤ笑っている役人がいます。

播磨守『これ、そこの者。なにを笑っておる。仕事ははかどっておるのか?』

役人 『はは一。申しわけありません。
    実は、神埼郡の堲岡里の言い伝えに、何ともおもしろおかしい
    地名のいわれがございまして。
    ついつい、笑ってしまったのでございます。』

播磨守『なになに。神埼郡の堲岡里とな。市川のずっと川上ではないか。
    その話 わしにも聞かせてみせよ。』

役人 『ははー。それでは。』

むかしむかし、オオナムチノミコトとスクナヒコネノミコトという、二人の神さまが住んでいました。
ある日、二人は、変なことで言い争いをはじめました。重たい粘土をかついで歩くのと、ウンチを我慢して歩くのとどっちが遠くまで行けるだろうか? というのです。

オオナムチ『そりゃあ、ウンチを我慢するほうに決まっとるだろう。』

体の大きなオオナムチは、笑って言いました。
小さいけれど力自慢のスクナヒコネは

スクナヒコネ『おれは土だと思う。』と言いました。
オオナムチ『いや、ウンチだ!』スクナヒコネ『いや、土だ!』
オオナムチ『ウンチだ!』スクナヒコネ『土だ!』

二人ともゆずりません。

スクナヒコネ『じゃ、実際に競争するか?』

こうして、二人の神さまの奇妙な「がまんくらべ」が、はじまりました。オオナムチは何も持たないので、それはそれは、余裕がありました。

オオナムチ『おーい!スクナヒコネー おそいぞー。
      手ぶらはらくちん。らくちん。』

口笛を吹きながら、おおまたでゆったりと歩いていきます。

一方、スクナヒコネは、重たい粘土をかついでいるので、それはそれは大変でした。
まっ赤な顔をして、汗をたらたら流しています。

スクナヒコネ『待ってくれー。』

最初からとても勝ち目がないようにみえました。
それでも、スクナヒコネはあきらめずに歩いたので、二人の競争は次の日も、また次の日も続きました。

すると、あんなに元気だったオオナムチも、だんだん顔色が悪くなってきました。真っ青な顔をして、ひたいから油汗を流しています。

スクナヒコネ『オオナムチよ、顔色が悪いぞ。だいじょうぶかぁ?』

スクナヒコネが話かけても、

オオナムチ 『だいじょうぶやぁぁぁ・・・・。』

と、小さな声で答えるのが精いっぱいです。

やがて、ある丘にさしかかった時、

オオナムチ グル・・グル・・グル・・
      『うーっ もう歩けん。』
      『もう我慢できない。もう限界。』

オオナムチは、とうとう、しんぼうできなくなり、道ばたの草むらの中へかけこむと、
ブリッ!ブリッ!ブリブリ!・・・!  一気に思いをはらしました。
それを見た、スクナヒコネも、

スクナヒコネ『こっちも疲れたー。苦しい。』
      『こんな重たい土は、もうたくさんだ。やーめた。』

というと、かついでいた粘土を丘に向かって、ドカーンと投げ出してしまいました。

昔は粘土のことを「はに」と呼んでいたので、粘土を投げた丘は、「はにおか」、このあたりのことは、堲岡里と呼ばれるようになりました。
また、ウンチが笹の葉にはじかれて、オオナムチの服が汚れてしまいました。そこで、「はじかのむら」と呼ばれるようになりました。この粘土とウンチは、やがて石になり、今も残っているそうです。
今の神埼郡神河町でのお話です。

播磨守『あっはっは。これは愉快じゃ。神様の我慢比べじゃな。
    実におもしろい話じゃ。もっと他にないのか?』
役人 『ははー。実は、播磨国には海の向こうの国からやってきた
    渡来人がたくさん住んでおります。渡来人ふぁ大切にしている
    神様アメノヒボコと、播磨国の神様イワノオオカミが戦ったという
    話もたくさんございました。』
播磨守『そうか。それでは・・・・』
役人 『ははー。それでは・・・・』

むかし、むかし、新羅国の王子、アメノヒボコが船で日本へやってきた時のことです。
住むところが無いアメノヒボコは、イワノオオカミに言いました。

アメノヒボコ 『どうか、私に住む土地を与えてください』
イワノオオカミ『だめだ、断る。ここはわしの国じゃ。
        そのまま海にとどまっておれ。』 




アメノヒボコ 『えーい。礼を尽くして申しておるのに、えらそうに。
       それならば、こうしてくれよう。えいえい!やーっ!』


アメノヒボコは、剣で海をかき回し、大きな渦を起こして脅かしました。


イワノオオカミ『うわあ〜!なっ、なんとすごい力じゃ!
        これはぐずぐずしておれぬ。戦いの準備じゃ。』

ついにイワノオオカミとアメノヒボコの戦いが始まりました。

アメノヒボコ 『おお。ここによい土地があるぞ。
        私のものにしてしまおう。』
イワノオオカミ『ヒボコよ。何をしておる。ここはわしの土地じゃ。
        渡すものか。』
アメノヒボコ 『なにを〜。ならば、力づくでも奪い取るまでじゃ。
        えいやー。』
イワノオオカミ『負けるものか。えいー。』

二人は谷の形が曲がるほど激しく奪い合ったので、この場所は奪谷と呼ばれるようになりました。

今の宍粟市山崎町のお話です。

二人の戦いは播磨じゅうに広がり、激しさを増してゆきました。
アメノヒボコは八千人もの大軍を集めていたので、八千軍野という名がつきました。

今の神崎郡福崎町八千種のことです。


また、イワノオオカミの軍は、ご飯の用意をしようと、臼と杵でお米をつきました。
その時にできたたくさんの米糠が丘のようになったので、その場所は糠丘と呼ばれるようになりました。

今の姫路市船津町でのお話です。

戦いの中、イワノオオカミは丘に登り、急いでご飯を食べました。あんまり慌てて食べたので、口からご飯粒をポロポロとこぼしてしまいました。
昔はご飯粒のことを「いいぼ」と言ったので、この丘を「粒丘」と呼ぶようになりました。

これが今の揖保という地名の始まりです。

さて、二人の戦いはなかなか勝負がつかないので、疲れ果てた家来はイワノオオカミに言いました。

家来     『オオカミ様。もうヘトヘトで動けません。』
イワノオオカミ『わしも戦いはもううんざりじゃ。どうしたら
        よいかのう。』
家来     『そうだ。よい考えがあります。高い山から木の蔓を
        飛ばして、落ちた場所で治める国を決めたらどうで
        しょう。』
イワノオオカミ『それは名案じゃ。すぐにヒボコに伝えよ。』

二人は、さっそく高い山のてっぺんに登りました。輪っかにした蔓を三つずる足に乗せ、そろって、「えいっ」と大きく足をふったところ、蔓は遠くまで飛んでゆきました。

イワノオオカミ『どれどれ。わしの蔓は播磨国に一つ、あとの二つは北の
        但馬国だ。ヒボコはどうだろう?』
アメノヒボコ 『あれー? 私のは播磨国に一つもないぞ。みんな但馬国
        だ。』
こうして、播磨国に蔓を落としたイワノオオカミが播磨国を治め、アメノヒボコは但馬国を治めることになりました。そののち、二人は神様として大切にされました。
そして、二人が三つの蔓を投げあったところは、三方と呼ばれるようになりました。
今の宍粟市一宮三方町のことです。

播磨守『そうか、そうか。播磨国の地名には二人の神様の戦いからついた
    ものが、実にたくさんあるのじゃなあ。他はどうじゃ?』
役人 『はい。東播磨には印南別嬢のお話、北播磨には根日女の恋物語
    など、まだまだたくさんございます。』
播磨守『これほどたくさんの話があるのは播磨国が古くから開けていたから
    にちがいあるまい。なんと素晴らしい国であろうか。みなのもの、
    しっかり記録するのだぞ。』
こうして播磨のいろんなお話を集めた『播磨国風土記』ができあがりました。
このような「風土記」は全国でつくられたのですが、今に伝わっているのはたった五つしかありません。
その一つである『播磨国風土記』は、千三百年も前のご先祖様が伝えてくれた大切な宝箱なのです。

おしまい。

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